V羽鮒・長貫地区

富士川の歴史コース

かつて富士川は重要な交通路として利用されてきたが、難所も多く水難事故が絶えなかった。難所のひとつ釜口峡には今も水難者供養碑が残る。富士川沿いに広がる集落をめぐる。

距離
約5km
所要時間
約2時間

スタート&ゴール

芝川会館

〒419-0315 長貫1131−6
  1. 朏島新田|朏島は、富士川左岸の自然堤防上に位置するため水が得難い場所だった。羽鮒(はぶな)村の太郎右衛門と又左衛門が新田開発と用水路開削を願い出、12 年間の難工事の末、天和4年(1684)用水が開通し、朏島に新田が開かれた。用水は、芝川中学校の南で芝川から取水し、芝川左岸の岸壁をトンネルで通り抜けて芝川駅北側で地表に出、朏島に至る。

    V-1富士川の歴史コース

    朏島新田

  2. 子安さん・おでこ道祖神|子安さんは、杉田の子安神社を勧請し昭和9年(1934)に建立されたもので、明治~昭和初期にかけて活躍した産婆が共に祀られている。子安さんの傍にある道祖神は、独特な形から「おでこ道祖神」とも呼ばれている。

    V-2富士川の歴史コース

    子安さん・おでこ道祖神

  3. 平野氏神社|平野の氏神として八幡宮・産能大権現が祀られている。「産能」は「山王」のことと考えられる。山王神社は日吉神社とも呼ばれ、各地に祀られている。また、神社入口にはエドヒガンザクラの古木があり、毎年見事な花を咲かせる。

    V-3富士川の歴史コース

    平野氏神社

  4. いかだ師の道と道しるべ|岩本・大宮へ向かう道、羽鮒・西山へ向かう道、身延道の分岐点に道しるべがある。身延道は身延山久遠寺(山梨県身延町)に向かう参詣道で、地域ではこの道筋を「いかだ師の道」と呼んでいる。木材をいかだに組んで富士川に流し、甲斐国(山梨県)から駿河国(静岡県)に運んだいかだ師が、帰路歩いて戻った道筋だという。

    V-4富士川の歴史コース

    いかだ師の道と道しるべ

  5. 郷の神さん|お堂の中に、羽鮒村と大中里村の境界争いの解決に功績のあった人を祀ったものだという題目塔がある。お堂の東側には、病気を治してくれるホウエンサン(栄達院法印)が祀られている。

    V-5富士川の歴史コース

    郷の神さん

  6. 妙興寺|妙興寺は、江戸時代の地誌『駿河志料』によると、元は日興を開基とする「妙福寺」であったが、元禄年間(1688~1704)に「妙興寺」と改めたという。日興は日蓮の高弟である六老僧の一人であり、境内には、日興の母・妙福尼の供養碑や、日興が爪で石に刻んだとされる「爪引き曼荼羅」がある。

    V-6富士川の歴史コース

    妙興寺

  7. 長貫発電所|芝川の水を利用する水力発電所で、取水口は西山と大久保の境にある長貫えん堤である。大正9 年(1920)、四日市製紙の発電所として発電を開始し、現在は中部電力㈱が発電を行っている。

    V-7富士川の歴史コース

    長貫発電所

  8. 釜口峡|釜口峡は、川幅が急に狭くなり急流となるため、多くの水難事故が起きた難所であった。元禄元年(1688)、釜口橋上流左岸に「水神山本立寺」が建立された。周辺には現在も歴代住職の墓や水難者供養塔が残されている。水難者供養塔は、高さ約3m の柱状節理の石柱を用いたもので、安政4 年(1857)に建立された。また、川幅が狭い釜口峡には、慶長13 年(1608)家康の命により藤蔓を用いた吊橋がかけられたという。以降、幾度も架け替えが行われてきた。現在の釜口橋は昭和24 年(1949)に架けられたものである。

    V-8富士川の歴史コース

    釜口峡

出典

歩く博物館パンフレット

歩く博物館ガイドブック 訂正版

富士宮市のホームページ